私の名前をグーグル検索すると(そんなことをする奇特な方も少ないでしょうが)、「天草ひまわり基金法律事務所」とか、「かながわパブリック法律事務所」とか、いろんな事務所に所属していたことが分かるかと思います。「何か一か所にいられない事情があって全国を流れているのでは…」と不審に思われる方もおられるかもしれませんが、これには深い事情(?)があります。
一般的に、弁護士のキャリア形成としては、まず既存の事務所に「雇われ弁護士」(これを業界的には「イソ弁」といいます。)として就職し、そこでボスの指導を受けつつ弁護士としてのスキルを身に着け、頃合いを見計らって独立開業(一人で、あるいは気の合う弁護士複数で)をするのが通常のパターンです。弁護士は特定の地域で顔を売って顧客を獲得するのが常道ですので、本拠地を何回も変えるというのはこれまであまり想定されていませんでした。
私の場合、まず弁護士になる前の司法修習中に「司法過疎」とか「弁護士過疎」と言われる問題(弁護士が大都会に集中すること)に接して、地方で一度は活動してみたいと思ったところからキャリアをスタートさせました。そこで、司法過疎地域に派遣される前提で最初の2年間は東京・有楽町にある「日比谷見附法律事務所」で修業しました。そこで一通りの弁護士業務を経験したのち、熊本県天草市に設置された「公設事務所」である「天草ひまわり基金法律事務所」に派遣され、初代所長として3年半活動しました。「ひまわり基金法律事務所」は日本弁護士連合会が司法過疎解消のため設置した「ひまわり基金」の援助を受けて司法過疎地に設置される弁護士事務所で、北海道から沖縄まで全国に数十か所設置されています。天草ではたくさんの事件が舞い込み忙しい日々を過ごしましたが、豊かな自然や新鮮な海の幸・山の幸に恵まれて充実した日々を過ごしました。
天草の事務所は任期制でしたので、赴任後3年半経過した時点で後任の弁護士に委ねて天草を去り、一旦は東京の元事務所に戻りました。その中で、私と同じように司法過疎地で勤務した弁護士から、今度は地方に派遣される若手弁護士を養成する事務所を作らないかというお誘いを受け、横浜市中区の関内に設置された「かながわパブリック法律事務所」を共同で設立しました。ここで新人弁護士の指導をして、高知県四万十市、北海道八雲町、群馬県中之条町、千葉県鴨川市、福島県相馬市、神奈川県開成町、山形県新庄市、新潟県佐渡市などに若い弁護士を送り込みました。今ではそれらの弁護士は立派に成長して、私よりも優れた大先生になっています(笑)。
この横浜の事務所も任期制でしたので、6年経過した時点でどこに行こうかという話となり、やはり自然や人情等々、熊本の良さが忘れられず、2015年の夏に熊本に戻ってきました。熊本に戻って半年で地震を経験しましたが、二重ローン解消のためのガイドライン債務整理など、震災復興に微力ながら加わり、弁護士として得難い経験をしました。
東京のど真ん中から天草市まで、いろいろなところで弁護士業務をしましたが、私のような市井に起こる案件を扱う、いわゆる「町弁」にとっては、都会の人だからどうとか、地方の人だからどうというような地域性はさほど大きくなかったように感じます。当たり前ですが都会にも地方にもいろいろな人がおります。また離婚や相続、債務整理等の案件は地域によってさほどの違いはありません。私にとってはすべての事件が弁護士のキャリアにおいて血肉となる、非常に得難い勉強をさせてもらったと思っています。
弁護士になって20年が経ちましたが、これらの経験を生かして、これからもすべての案件に対して意欲的に取り組んでいこうと考えています。
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